The Japanese Houseの良さが収束しない

 

 

 昨年末、ふと思い立ちTwitter(あえて旧称)のスペース機能を使いはる兄とガチタイマンしゃべくりラジオを開催した。時期もアレだったのでトークテーマは「今年のアルバムベスト3」としたが、蓋を開けてビックリ!はる兄と私で被ったアルバムがあった。

 The Japanese Houseの『In the End It Always Does』である。

 

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 それまでピーチクパーチク喋り倒していた2人であったが、このアルバムの良さを語る段になって極端に口数が少なくなった記憶がある。The Japanese Houseことアンバー・ベインは「その人」と「生活」と「音楽」が混然一体となっている趣があり、その内1つだけを取り出して語るのは難しい、という感覚があったのかもしれない。

 

 小賢しくも、件のスペースを開催する前にThe Japanese Houseの近年のインタビューを読んで予習をした。そこで驚いたことが2つある。

 まず、このアルバムの”Sunshine baby”という曲にみんな大好きThe 1975のマシュー・ヒーリーが参加していること。何度も聴いているのにまったく脳がそうと認識していなかったため愕然とした。

 

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 次に、近々来日し東京と大阪でライブを行う予定があるということ。問答無用、諸行無常でチケットを取り、仕事帰りに行ってきた。

 



 近鉄特急の奮闘も虚しく、開演には間に合わず3~4曲目あたりで会場に入った瞬間にステージ上にアンバー含めギターが3人いることに軽く驚く。流石におかしいと思い目を擦ってもう一度見るとそのうち1人が持っているのはギターではなくサックスであった。そんなことある?

 

 “Friends”の間奏で自然に、しかし高らかと鳴るサックスの音が好きすぎるにつき、ライブで聴けて良かった。

 

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 ステージ上でにこやかに歌うアンバー・ベインは不思議な雰囲気の人で、適切な形容が思いつかないが「武装をしていない人」という印象を持った。アンコールでは鍵盤で弾き語りをするスタイルであったが、歌う前にその曲を作った当時の心境をぽつぽつと喋る口ぶりは、まるで長年の友人と自宅のリビングでコーヒーでも飲みながら喋っているようなテンションであった。

 

ここまで書いてきて、このアルバムのどこがいいかに関しての解析めいたものが1ミクロンも出てきていない。ただ私が言えるのは、このアルバムを聴きながら車を運転しているときが幸せだということ。

家でNetflix観てるだけで終わるお前の人生

 ご縁があってNetflixに加入させていただく運びとなり、前から評判を聞いて気になってた各種を観まくるフェーズ。

 

LIGHT HOUSE

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  オードリー若林と星野源が1か月おきに膝を突き合わせ、それぞれの「悩み」についてトークするという、独自性の高い番組。

 正直ベースで申し上げると、トークの内容としては昨今よく叫ばれる「男の生きづらさ」をそれぞれなりの言葉で話しているという趣きであって『斬新!!!!』という感じではなかった。しかしやはり人間は自分の弱点について話すときに真価が問われるのだなという考えの確信度を深めた。

 印象に残っているのは、「こういう業界人がキライ」というのを話し合うノリになった時に星野源が「○○する人。嫌いですねえ~~~」と、えも言われぬ笑顔で言い切ったシーン。それまでの人生の大部分があの笑顔の中に詰まっていると思った。

 

浅草キッド

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 浅草の劇場でコント師深見千三郎に師事し、やがてテレビに引っ張りだこになる一歩手前までの若き日のビートたけしを描いた映画。

 この深見千三郎という芸人を大泉洋が演じているのだが、圧巻の演技だった。テンションとしては『水曜どうでしょう』で藤村Dにクダを巻いているあの感じとさほどかけ離れていない、謂わば「自然体の演技」なのだが一方で完全に役柄に憑依している。主演すなわちビートたけし役の柳楽優弥が憑依型一点突破の演技をしているので余計に際立つ。

 ナイツの土屋さんも出てるよ(眼鏡を外しているので言われないと気づかない)。

 

ラブ・アゲイン

https://www.netflix.com/jp/title/70167068

 ライアン・ゴズリングエマ・ストーンが出ていると聞けば観ざるをえない。

 ストーリーを一言で言うと、『伊坂幸太郎』である(意味は観ればわかるよ)。

 昨今、海の向こうでは恋愛映画であろうが遠慮なく大作指向が強められている風潮をひしひしと感じるが、これはそこそこ小ぢんまりしており見終わった後にホッとする感じがした。

 

余談

https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%90%E5%A8%98-%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B32-1-KC-KISS/dp/4065172284

 『東京タラレバ娘シーズン2』(数年前に完結)が面白さの割にほぼまったく話題になっていないのが不思議である。主人公の設定が『休日はNetflixを見漁る実家暮らしフリーター女子』で、「いよいよ本気で刺しにきたな!!」とワクワクしながら思ったのだが、加減が間違っていたのだろうか…。いい歳してフラフラしてる自覚のある人類、全員読みなさい。

リメイクではなくリビルド

 Teacup.ブログで15年間ほどブログを書いていたが、去年の8月をもって運営サービス自体が終了を迎えていたらしく、めでたくすべてのデータが消失することと相成った。

 …と書くと、いかにも零細ソシャゲのような突然のサ終であったかのように聞こえるであろう。実際はTeacup.さん(社名を指したつもりであるが合ってるかはわからない)はちゃんとしているので「近々サ終するから他のサービスへの移行よろぴく」メールを全ユーザーに向けて数回に渡ってお知らせしており、私が移行作業を面倒くさがっている間に順当にラグナロクが来ただけのことである。

 

 記憶が確かであれば、旧ブログの最後の記事は『シン・エヴァ』の感想的なアレだったはずである。つまりこのまま新たなブログを立ち上げなければ、「『シン・エヴァ』を観て満足し光の粒子になってネット上から消えた人」という風になって面白いかもな~~~~などと他人事のように思っていた。

 しかし、シンジ君に差し伸べられたマリの手のひらが持つ意味を考えないわけにはいかない。

 『シン・エヴァ』のラストシーン、駅のホームのベンチにボケっと座っているシンジ君の後ろからマリが目を隠しながら「だ~れだ?」からの仲睦まじいなんやかんやがあってマリはシンジ君に手のひらを差し出す。シンジ君はその手をとりながら立ち上がり、2人そろってホームの階段を登ってゆく。カメラはズームアウトしていき、宇部の街並み(突然の実写)を数秒映し出した後に終幕。

 よほどの逆張りクソ野郎でなければ、この一連のシーンからは「『エヴァンゲリオン』が終わった後も人生は続いていく」というメッセージを受け取るであろう。

 不格好すぎる途中経過まで含めてすべてが開示される(受動態で書くのもおかしいけどね)世の中で、「続けることに意味がある」と100%の確信で断言することは割と難しくなってしまったが、少なくともマリの手のひらの差し出し方に躊躇はなかった。指針として今はそれで十分すぎるくらいだと私は判断している。

 

 成り行き上、移行ではなく新設という形になってしまったとはいえ、そういうことであるから新ブログの名前(冷静に考えると何と呼ぶのが正しいのだろう、表題?)を考えないといけない。2秒考えてASIAN KUNG-FU GENERATIONが近年発表した”You To You”という曲の歌詞の一節を拝借した。

 

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 小刻みにギョっとするワードが入ることに定評のある後藤正文’s歌詞の中での比較で言うと、一見「ありきたり」寄りのセンテンスに思えるがなぜ引っかかるのだろう?という疑問の答えは割とすぐに辿り着く。

 月並みな表現であれば“ここじゃない何処か 僕じゃない誰か”になっているであろうところ、“そこ”“君”という二人称になっている。

 私は楽器が弾けない故に全くもって想像の域を出ないが、あえて一人称でない歌詞を書いてそれを歌うというのは色々な苦難があると思う。ギターを掻き鳴らしながら歌うという行為の身体性=主観性に真っ向から逆らう試みであるからだ。

 とはいえこういった「主観性からの脱却」なるものがアジカン史においてこの曲で初めて導入されたアプローチかというとそうではなく、「普遍的(⇔主観的)な音楽」というのは彼らが初期からずっと目指してきたゴールだというのを思い起こすと、荷物が丁度いいところに収まった感覚を覚える。

 とはいえ三人称=完全な客観になっていないところから推察するに、主観と客観のどちらを取るべきかという命題に対しては未だ悩んでいる最中なのであろう。この曲を口ずさむときに否応なく襲い掛かってくる祝福感に包まれつつ、私もたまにはそういうことを悩んでみようと思うのであった。

 

巻末Q&Aコーナー

Q.当ブログの今後の展望あるいは予定は?

A.そんなものはない。インプット量が著しく落ちているため。最近カーステレオでしか音楽を聞かない生活を送っていた中、ふとしたきっかけからイヤホンで聴いた曲の「「「すべて」」」が聴こえることに感動したため、しばらくは今年の曲を聴き漁って追いつくつもりではいる。見とけよ……